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ノスタルジーは終わりにしよう

先日見たテレビで放映した『Always〜三丁目の夕日』につづき『続・Always〜三丁目の夕日』も観た。前作も同じようにテレビで観て、気になったので続編も観た。時代背景、ストーリーは今回の話にも繋がり、話の展開も各々の登場人物のエピソードも増えてより深い展開になり楽しめました。

この当時昭和30年代は戦後復興や朝鮮戦争などで、一部の人が富んではいたが大多数な人が貧乏であった。80年代の様な国民総中流時代はいわゆる敢然なる格差社会であったが、俗にいう高度成長期である。鈴木オートも洗濯機やテレビを所有する小金持ちだったであろうし、圧倒的に物質がなかった時代であろう。少し面倒な話をすれば、現代は団塊の世代を中心とした人口構造になってるがゆえ、一平などの当時の子供が今の団塊世代に当てはまる。だからその世代のノスタルジーで流行ったのも多分にあるし、もちろんそういうことも織り込み済みだろう。

私の様な団塊ジュニア世代からすれば、映像はまさに現代社会の教科書のような描写である。私の父も偶然に土地は違うが東京・下町の出身であり、父がたまに話す幼少の時の下町描写とシンクロしたコトもあり、こんな風景で父も暮らしてきたのか思うと変に感慨深いものがあった。かたや現代、高度成長期のお陰で物質的には満たされが、毎年数万人の人が自ら命を絶つ時代だ。よく言われるようにモノやカネではない『希望』がこの国にはないのであろう。

漠然とした不安と疑心に溢れ、保身のために自分自身のことしか考えられない人だらけの国になってしまった。茶川のように縁もゆかりもない淳之介を育てるようなこと現代ではあり得ないし、マイクロファイナンス的に近所同士でお金や食事を融通することもまずない。

しかしそれは仕方がないことである。今、この現代を変えることは出来ないし、その当時、夢だと思っていた現代が今なのであり、国民の思い描いて国になったんだろう。たしかに経済的には成功して先進国と言われるような国になった。これは先人のお陰である。しかしそれと引き換えに昔に置き忘れたものも沢山あったのではないかと思う。

端的に云えばマス向けにマーケティングされた「寅さん」に変わる、古き良きお涙頂戴メロドラマだ。こんなの観て昔は良かったとは思えない。現代でも人と人との繋がりはある、形は違うにしろ。それを出来るのが私はITだと思う、この業界にいる限り、それをライフワークとして考えて行きたいと思う。