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洗濯機が終わるまでブログを書く

突然だが、先日、とある教育関係の方と話をした時、ふとこんな質問を投げかけた。

こんな時代、どうやって生徒たちに夢を考えさせてるのですか?

こんな時代なのは承知した上でのある種、いやらしい質問をしたが、その方いわく、生徒さんには現代日本は成熟した社会になり、夢という指針で学習意欲を与えていないとのこと。

「アラフォー独身男、結婚願望まるで無しおちゃん」の私にとって子供という存在は生活の中で遠いものであり、私自身が育ってきた環境というアングルしか子供という存在を知らないのである。いうなれば昭和の子供しか知らない訳だ。もちろん、最近の子供のキラキラネームをつける意味もわからないし、どのように生き、そして育っているのかも全くわからない。だから、子供の生きる「糧」が変化した事に驚いた。

私が子供の頃(昭和の子供)は漠然と「安定社会」があって、ドリカムの様な未来予想図を学校で書かされたりもした。内容は、学校でて、働いて、結婚して、子供出来てゴニョゴニョ…と書いた気がするが、結局、アラフォー独身男であり、残念ながら予想図通りには全く行かない。コレが人生の妙である。

社会全体がふさぎ込みがちの世の中だが、今の子供じゃないけど「成熟社会」と割り切ってテキトーに生きてしまうのがいいのかなと思う。いいじゃねーか、ネガティブだって。頑張って税金払ったってキッタネー奴らが「ナマポ」もらってるしさ、マジメにやるのバカらしいけど、もうそういうのも含めて割り切っちまおうと。

とかくふさぎ込みがちの世の中だから、割り切っちゃえと。いいじゃねーか、ネガティブだってさ。どこぞの「さしこ」チャンは即刻、ネガキャン張り直して欲しい。バブル長者のプロデューサー様と売上至上主義育ちの元キャバ嬢様のDisりにあんま感化されんほうがいいぞ、たぶん。