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ムフフ...系ではないのです

映画『人のセックスを笑うな』を観る。タイトルでムフフ...と思ったあなた、原作者の策の罠に見事ハマってしまいましたね。作品は松山ケンイチ演じる19歳の美大生"みるめ"と、39歳の永作博美演じるリソグラフの非常勤講師"ユリ"とのはかなくも奔放な恋愛を描いている純粋な恋愛ストーリーである。私の場合いつも筋書きを書かないのはいつもこと。出来ることならばDVDを観てからこれ読んでいただけるとさらに嬉しいのだが。

この作品は男性が観ると『?!』と思うかも知れないので、男性は覚悟してください。女性監督が完全に女性目線で『少し危なめ(ここがキーになるのだが)』の恋愛を撮った感じだ。あまり良い言葉でないが"アバンチュール気分"といったらいいのだろうか。やっていることはタダの不倫の恋愛なので、俗世間的には許されたものではないだろうが、惚れた腫れたは人間の本能なのでどうしようもないと思うが。私は原作を読んでいないのが、この原作は撮る人によって大変わりするストーリーかもしれない。ある意味井口監督は後で説明するがマニアックな描写に振ったと思う。

確かに若いとき、私自身も若いときに年上の女性に心を惹かれ交際をしたことがある(不倫ではなかったが)。当時の自分より物事は知っているし、経験は積んでいるし、セックスも上手いし。年上の女性と付き合った経験のある人間なら、このなんともいえない心地よさは何となく共感してくれると思うが。そこに純粋な恋愛の形としてハマっていく『みるめ』に共感を覚える。女性目線からいえば、かわいい白魚のような穢れのない瑞々しい好みの若い男を手玉にとるのを楽しいかどうかは、男性の私にはよくわからないが。

なにしろ演出に関しては、フランスかイタリアあたりのちょっと陰がある恋愛映画を日本版にトレースした画が非常にいい。簡単に言うと洒落ているんですよ、音楽も小道具も。秀逸なのは心の揺れ動きを間とカットで表現するのがいい。あるシーンを抜き出すが、

えんちゃんがユリに自分の展示会に誘われいざ行ってみると、どうも知らない人だらけで居心地があまり良くない。そんなとき誘われたユリと会い言葉を交わすが、ユリが別の来客者に声をかけられ、ゆっくりしていってと待たされる。

そこを蒼井優演じる"えんちゃん"がベンチに腰掛けながら、来客者が軽くつまむためのクッキーを食べるシーンで、最初は手を伸ばしてクッキーを遠慮がちにつまむ、だれもつままないをみてさらにクッキーが置いてあるテーブルの方に近寄り食べる。

ユリは忙しいのか戻ってこない。えんちゃんはヒマをもてあまし、さらにテーブルに近づきさらにクッキーを食べ続ける。

画面がカットアウトしユリがえんちゃんの元に戻ると、ベンチに座っていた筈のえんちゃんはもう居ない。カットアウトし画面には空のクッキーの皿が映る。

ユリは少し寂しそうな顔をし、またギャラリーに消えて行く。

ストーリー的には重要なシーンではない。密かに不器用だが"みるめ"を想うえんちゃん、自由奔放に生き、"みるめ"と器用に恋愛を楽しむユリの対比がわかると思う。このシーンからえんちゃんとユリの関係性を監督は観る側に任せている。ヨーロッパ系の映画にはこの描写が多い。書籍でいうのならば『行間を読め』ということだろうが。

ある意味、井口監督のえんちゃんの描写は非常にストーリー展開においてうまい効果となっている。この後のシーンで、居酒屋で酔って動けなくなったみるめと、介抱するためにラブホテルに行くことになったえんちゃんが、思いを寄せる酔って寝ているみるめにキスをしようか迷うシーンも女性しか描けない視点だろう。

自分もユリの様に感性にまかせてみるめに触れてキスをしたい、しかし自分はユリとは違う自分は自分なんだと葛藤し、そのリビドーに対する葛藤をラブホテルのベットで寝ているみるめの上でピョンピョンと反復横跳びしながら考えるシーンは男の感性では絶対に出てこない。

逆にケチを付けるのであれば、最近の映画にしては少し尺が長いのが気になるといえば気になった。上記で触れた"間"の表現が長いのである。ハリウッド系のジェットコースタームービーに慣れてしまっている最近の人には前編通して集中力が持たないかも知れない。映画自体のBPMもスローなので、尺よりも長く感じられるだろう。

最後になりますが、脇役のあがた森魚温水洋一忍成修吾も良い感じで脇を固め、ストーリーの良いアクセントになっています。細かいところでいえば、最近流行の専科大学という設定も面白く、リソグラフ(シルク印刷)の工程もリアルにこだわって良い感じ。忍成修吾演じる"堂本"がずっと好きだったえんちゃんに最後に良い感じになれたのは良かったな。やっぱり女性は『愛すより、愛される」方が幸せだと思いました。

平滑な人生に飽きたら、秋の夜長に恋愛映画はいかがでしょうか?