3b

おとうさん、じゃなくておかあさん

今日たまたま、用事がありソフトバンクに行こうとすると、駅の近くにあるスーパーマーケットの入口付近で、某遊園地(詳しくいえば、後の方)で働いて居たときの後輩の女性に偶然会う。

お互い全く意図しない事だったのでビックリしましたが、とりあえず私の用事のソフトバンクに寄った後、家へおじゃましお茶することにしました。

その後輩の女性は主婦でもうすぐ2歳の娘もいるのですが、やはり子供のいる方と会うとビックリするのは、子供の成長なんですよ。以前、その娘と会ったときはだっこされていてまだ話せなかったのに、今はなんか少し話して、いろいろな表情をするんですよ。

凄いよね、子供は。毎分、毎秒、何かを得て吸収しているんだから。大人になると日々はある程度ルーティーン化されるので、毎日の成長感って感じないけど、子供はそういう面では凄いなぁと感じる。日々が動的というかね、大人の世界も確かに動いていますが、目に見えぬ大きな情勢が動くだけで、自分自身が大きく動くということは意外に少ないのではと。

そんな感じで色々なヨタ話をしました、昼下がり。ビックリしたのが、その彼女の娘が普段は男性になつかなく、男性恐怖性と思っていたらしいが、なぜか私になつくのです。以前からご存じの通り、私は子供嫌い。だが遊園地で働いたころから、幼児にはモテモテなんですよ。なんでだろうね、正直自分ではわからないが。

帰りに自転車に乗ってふと思ったのは。女性は『働く』という生き方もあれば、『お母さん』という生き方もある。それぞれ悩み、考え、そして何かを得る。普通の労働みたいに金銭の対価はないけれど、お母さんが得るものは、自分の子供からもらえる感動じゃないかなと思う。

女性は大変だけど、2回人生を出来るようで凄いなぁと。男は死ぬまで、同じ事の繰り返し。そういう意味では、女性の方が神秘的な生き物なんだなぁと思いました。