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池袋は何事も無く混んでいた

今日、マスコミは鎮魂ムードの一日。だが「熱しやすく冷めやすい」国民性なのか、街中ではごく当たり前な日曜日が進んでいく。

震災からからこの国は再構築されるどころか、リーダーシップが皆無なこの国を背負うエリートは不手際の連続で現場に弱いことが露呈されてしまった。監査機関であるマスコミも撮ったフィルムの焼き直しを編集をしたようなまとめ番組ばかり。皮肉の一つも言いたくなるほどの「鎮魂」っぷりであった。

地震にとどまらず、全てがビジョンのないまま進む社会に心の奥底に不安を感じている。経済も正義や仁義のかけらのない極悪なスキームに嵌められた情報弱者が、泡沫の満足感とともになけなしのサラリーを吸い取られているビジネスモデルが評価される。昔、道徳の時間に習った「人々は手を取り合って、助け合い、生きていく」なんていうのは、お伽話のようになってしまった。

老いる者が保身のため「逃げきる」ことだけを考え、それを冷めた目で見る若者は努力は無駄と考え将来を見切る。子供の頃、若者は老いる者を尊敬しろと教えられた。だが、今の老いる者に尊敬が出来ないのは、老いる者の行動が原因だ。カンマが並ぶ銀行通帳をはためかせ、若者に苦言を呈すのはお門違いも甚だしい。

世に生を受けている全ての人間は猛省し、手をとり合って助けあい分かち合わなければならない。不可抗力で悔恨の気持ちを抱きながら生きられなかった人々への、唯一の弔いではないだろうか。